所詮世界はコピペで回っている
どんなに日焼け対策をしても焼けます、シミが気になるKEIです。
手に発生したシミが、昨日の夜にやけどしたのか(記憶は無)それとも新たなシミなのか…ドキドキしています。
そんな私のお肌は曲がり角。
※今回は私のただの独り言です.…(ToT)
結構ある層のブロガーの方ってつながりがある場合が多かったりするから芋づる式?(表現悪いな)
でネットサーフィンしながら見ちゃうのだけど、
最初はすごいインパクトがあって読み進めても結局のところはどこも同じような事を言っているんじゃないか?と思うことがあり。
内容は大きく変わらなくとも
そこにその人のキャラクターとか、戦略が乗っかって広まっていく。
言葉のセンスとか。
だって伝え方が9割。あれは真実です。
元コピーライターの母がいつも言ってます。
そのキャラクター性が人を呼ぶのであれば、公共の電波を使って活動をしている芸能人と大きく変わりはないわけで。
テレビでもインターネットでも不特定多数の目に留まる事は避けられない。
芸能人が道徳的に反したことをしていればそれなりの待遇になるのと同じように
インターネット上だって同じ事だと思う。
自分の思いを発信する方法が簡単になってきて。
ブログで生計を立てる人も多くなり。
社会の中、人とのつながりの中で辛い経験をした人がその経験をシェアしてたり。
道徳的に間違っていることを堂々として、批判されたり支持されたり。一体何が間違ってんだか、指摘する方も疑問を持ってしまう。
でもホントの気持ちって意外と画面上では伝わらないんだよね。
やっぱり知った気持ちになっちゃってそこ留まりっていうか。
その気持ちわかる!ってなるけど、完全に100%一致するわけじゃない。
自分の気持ちをわかってくれると思っていた相手が、実はそこまでじゃなかったとか。
同意してくれていると思っても、実は心の中では右から左にスルーされていることだってあり得る。
案外分かり合えないと思っていた人が、知らないところで自分と同じ経験をしていて刺激がもらえたりとか励まされたり。
完璧じゃない人間同士の付き合いは、きっとその中から学んでいくんだろう。
自分の付き合いたい相手だけを選んで生きていく。
一見聞こえはいいけど、
実際のところ、小さい世界で生きることになっていないか。
「選ぶ」行為とは、どれぐらいのことを指すのだろう。
自分の思いや心に芽生えた小さな気持ちと合致した成功者に出会い、そしてその気持ちが太く強くなって自信になる。
それは、もう傷つきたくないと一歩を踏み出すことに躊躇っていた昨日の自分より前に進めてる。
そうしたら、あとはそこから自分はどうするのかってことなんだろう。
世界一周するもよし。
行ったことがないカフェで人間観察してみるもよし。
家族の手伝いをするもよし。
ブログを書くもよし。
私の体はそもそも、両親の遺伝子のコピペだ。
だけど脳は、感情は、コピペじゃない。
つねにアップグレードできる。
そう、準備を整えて「開始」のボタンを押せば。
最新にするためにアップグレードされたらすぐに取り込むもよし。
ちょっと待って、様子を見てから挑戦するもよし。
時代の先端を行かないと取り残されるなんて
そんな冷たい事言わないでほしい。
今日も太陽はみんなの上にあるから、生きていける。
そんな、太陽のせいのシミだってオーストリア人の友達はprettyよ!と言ってくれた。
まるっとDiak。まっ、それでいっかな。