あれもこれも、まるっとDiak。

東南アジアの端の東ティモールから、ちょっと面白い情報を南風に乗せて届けます。

今日も、今も、生きてるってすごいことなんだな。


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こんにちは。

長らくブログが更新できませんで…


その理由を、このような場に書くことはどうなんだろうと思ったけれど

これも私がティモールで見た事・感じた事として残そうと思い、書くことにしました。

 


実は先週水曜日に友達のお父さんが亡くなり、その為に無力ながらお手伝いできることをさせてもらっていました。

亡くなった日から2日間は親族などが集まるために家の準備、大量の料理の準備を行いました。

そしてお葬式も無事に、全てが平穏な中で執り行われました。


私が知り合ったのはここ2、3年の事だけど

もっと長く、家族のように知り合っている人も。

本当に長い間闘病して、息苦しいなか頑張って生きた61年だったのだと思います。

お父さんのエピソードを聞けば聞くほど、家族を愛し、強く熱い信念をもった方だったことを知りました。


最後の入院の時には、ご家族と一緒に病室で時間を過ごさせてもらうこともできました。

結構ドタバタで、自分の予定の合間で行かせてもらったので

そこで見た興味深い「ティモールの病院」について書こうと思いながらも書けず…

 


ティモールでは、病院において二十四時間体制で家族がだれかいなければトイレに行くのもご飯を食べるのもお手伝いをしてくれる人はいません。

他の国でもこうなのかな。

母は昔の日本はそうだったと言っていました。

 


それで夜中も子供達が順番でお父さんと一緒に時間を過ごし

息苦しく寝られないお父さんを見守りました。


日中も家族と一緒に誰かが病院で待機をしました。


今までは病院に誰かいなければいけないと聞いてはいたし、ずっとなんて大変だなって思っていて

現に家族や周りの支える人にとっては常に病院に誰かが居るのは大変なことなんだけど


なによりも命ある時に家族と共に過ごす時間が

前を向く強さになるのかなと、無力ながら感じました。

 


病院のこと、

医療のこと、

病気のこと。


眼に映るものから感じた葛藤もあったし、ここではそういうものなんだって受け入れなければいけない現実もあったけど


全てにおいて貴重で、自分の糧になる経験でした。

息を吸って、今日も今も、きっと明日も生きてて。

笑って人とおしゃべりして。

全部すごいコトの連続なんだって改めて気付きました。

 

と、泣き虫な私は、かなりセンチメンタルな気分で数日間ずびずび泣きましてちょっぴりお疲れモードです。


また会える日まで。

 

 

※どうにもこうにも色々考えて書いたのですが、今回ばかりは(いつもだけど)ちょっと文がおかしなことになっているかもしれませんが誠心誠意書きました。わかりにくいところがあったらごめんなさい。